ゼロの使い魔を読みました。
ゼロの使い魔は貴族が活躍するお話です。
その貴族は、史実では、寄生階級であったと、本に書かれていました。
この史実を元に、ゼロの使い魔の貴族について考察していきたいと思います。
史実の貴族階級と寄生階級
史実では、貴族階級は寄生階級であったと本に書かれています。
つまり、貴族は一人ではご飯を食べていけません。
農民や平民に支えてもらうことで、食べていっています。
これは、アダムスミスの国富論にも書かれていたことです。
国力とはつまり、農業の生産能力であり、それに貴族たちは一切貢献していません。
このことからもわかるように、貴族階級は寄生階級なのです。
しかし、貴族は寄生していますが、貴族がいないと国は機能しません。
貴族が国の方向性を決めているからです。
その貴族たちのお話が、ゼロの使い魔の貴族のお話になります
アルビオンの貴族たち
私がゼロの使い魔を読んで、印象に残ったのは、トリステインの姫の初恋の相手、アルビオンの王子様の話です。
アルビオンの王子を含め、アルビオンの貴族たちは、何かに取り憑かれたように、懸命に国を動かしています。
最後の抵抗をすると、決死の思いで国を動かしているのです。
私はこれを読んで、アルビオンの最後まで生きようとする生物的な美しさと、機能性、そして恐怖を感じました。
まるで、アルビオンは一つの生物のように振る舞ったと思います。
トリステインの貴族
トリステインの貴族は誇り高く、勇敢で、命を投げ捨てる覚悟を持っています。
そう聞くととても美しく、かっこよく聞こえます。
しかし、それが行き過ぎるとアルビオンの貴族のようになってしまい、人は恐怖を覚えてしまいます。
アルビオンはおそらく、国が末期になっているから、このような状態になっていたのでしょう。
対して、トリステインは主人公たちのおかげで国が救われており、国が末期ではありません。
だから、トリステインはアルビオンとは違い、貴族がかっこよく、恐怖を覚えることがなかったと思います。
そして、私は、貴族という生き物は果たして何なのか、考えました。
貴族は、寄生階級なのに、誇りがあり、国にとってはなくてはならない存在であり、国頭脳の役割を担っている存在。
私は、貴族という生き物がすごいと思ったと同時に、怖いと少し思いました。
私は絶対に生まれ変わったら貴族になりたくない、怖いと思うのです。
そして、国を構成するのは主に、貴族と、農民の2択です。
果たして、貴族が良いか、農民が良いか。
その答えは出せませんが、間違いなく言えるのが、この時代の貴族と農民は大変な運命を共にしているということです。
まとめ
今回は、貴族と寄生階級について考察しました。
貴族は史実だと、寄生階級ですが、国にとって重要な役割を担っています。
平民たちも大変な生活を強いられていましたが、その時代の貴族もまた、大変な運命の上で働いていました。
どちらの運命が大変なのか。
私はそんなことをゼロの使い魔を読んで感じました。
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